IDEMITSU IHATOVE TRIAL

イーハトーブ新聞

イーハトーブ新聞 2015 vol. 1
出光イーハトーブトライアル大会通信

今年もみんなで目指そう「笑顔で帰宅」!戻る

 昨年は37回大会の事故を踏まえ、スポーツ性を担保しつつ不慮の事故発生をできるだけ取り除くことを目的に安全委員会を設け、各クラスともコース全長やセクション内容を大幅に見直した大会となりました。
 安全委員会の委員長にはテレビ岩手の楢崎社長が就任、副委員長にはご存知成田匠さんと、第1回大会の参加者でもあり長年岩手県警白バイ隊として勤務された平野文男さんにお願いをしました。
 事前に行われた現地査察では広大なコース全域とすべてのセクションについて第三者視点で安全確認が行われ、楢崎社長も直接現地に足を運んで安全確保にあたりました。我々実行団は事前にセクション位置と詳細なラインを設定したうえで査察に臨みましたが、安全委員の、それこそ小枝一本、石一個にまで注意を払う姿勢には感銘を受けましたし、運営全般に対する安全意識は確実に高まったと感じました。
 こうした作業の結果、大会後の参加者アンケートでは回答した9割の方がコース、セクションに安全への配慮を感じたと回答を頂きました。
 今年の大会については、成田匠さん・平野文男さんに加え成田亮さんも安全委員として参加いただき、より一層安全面への目配りをしてゆくことにしています。とはいえオートバイライディング・トライアルはスポーツであり、参加者自身が高い意識を持ち、しっかりした事前準備(練習を含む!)をした上で、目の前で起きている現実と折り合いをつけてゆく能力や考え方が絶対に必要です。
 そのための基準は「笑顔で帰宅できるかどうか?」にあると我々は考えています。実力以上のチャレンジになっていないか、天候が急変したときにどんな行動をとるべきかなど、判断に迷ったときには迷わず「これは笑顔で帰宅につながるのだろうか?」を自問自答してほしいと思います。その意味で申告5点も大切なテクニックと言えるでしょう。
 事前の準備についてはどうでしょうか。ヘルメット、ブーツ、グローブはしっかりとその機能を果たすものでなければいけませんが、ヘルメットは被っていても顎ひもを締めない、ブーツとは名ばかりでプロテクト機能がない単なる編み上げ靴で参加するにいたっては、自分で怪我の危険性を高めているとしか言いようがありません!これは笑い事ではなく、昨年の大会で実際にあったことなのです。
 繰り返しになりますが、参加者の皆さんはモータースポーツの潜在的危険性をあらためて認識し、「笑顔で帰宅」するための考え方や行動、装備、バイクの整備などを十分に行い、今後もよりよい形で継続できるよう協力していただくことをあらためてお願いしておきます。

クラシックコース、ネリコースともクラス新設戻る

 今年の大会は奥中山高原会場でクラシック、クラシックジュニア(新設)、ヒームカ、そして復活の観戦トレイルツアー。安比高原会場ではネリ、ブドリ、新設のトライアルレッスンツアーの5クラスの競技と2クラスのツアー、そして安比会場と奥中山高原の2会場で親子バイク教室と合計8つのアイテムで開催します。
 新設のクラシックジュニアは例年クラシックに参加していて年齢的、技術的に厳しくなってきたと感てる方、久々にクラシックに参加する方むけのクラスです。再開の観戦トレイルツアーは伝統のクラシックを観戦しながらイーハトーブの雄大な景色を堪能し、トレイルバイクで参加できるツアー。そして、トライアルツアーはご存じ木村治男さんが手取り足取り手ほどきをしてくれるトライアル初心者対象のツアーとなります。
 今年のイーハトーブは親子バイク教室に参加予定の小学校1年生7歳から最高齢は鹿児島と八戸からネリへ参加の71歳と過去一番年齢幅の参加者が集います。
 5月30日31日と二日間今年の大会に向けて、実行団と安全委員会で全コースの下見をいたしました。アンケートでご指摘いただいた、クラシックの午前中のコースで舗装路が多かった部分は6年前の大雨で通行不可となっていた林道が使用可能となりそうで、楽しい林道(?)コースが増えます。そして、2年続けて、スズメバチの巣で、キャンセルとなった安家元村小学校前のセクションは古い大丸太をすべて撤去し、岩と石と土のセクションに生まれ変わり。また、以前の様に多くの観客が見守るセクションとなるでしょう。また、ネリ・ブドリコースでは七時雨までの長い林道の途中に新しいセクションが準備できそうです。すべてを書いてしまうとお楽しみがなくなるので、今回はここまでにします。

バイク輸送サービス戻る

 今年から待望しておりました、「バイク輸送サービス」が実施されます。
 バイク輸送の専門会社BASがイーハトーブトライアルにサービス開始します。
 今年は15台以上にての実施となりますので、グループ参加、個人参加でも気軽にご相談してみてください。
 新幹線で盛岡に入り、会場まではJR、IGR(岩手銀河鉄道)で安比高原駅または奥中山高原駅まで来ていただけると、宿泊施設から送迎の車で宿まで送り迎えしをいたします。盛岡までの移動時間の短縮、大会参加後の旅行など、新しい旅が広がります。
 是非検討してみてください。
 詳しくはHPからBASへお問い合わせください。
 団体申し込みの場合は割引もご用意しております。

出光プレイーハトーブ in SUGO戻る

 恒例の「出光プレイーハトーブ in SUGO」が今年も6月28日(日)スポーツランドSUGOで開催されます。
 イーハトーブトライアルの本番向けてシミュレーションから攻略法をあの木村治男先生が指導解説する「トライアルスクール」、トレイル車対象の「オフロード塾」ではSUGOの広大なエリアで山遊び。 そしてバイク(セロー)、ヘルメット、肘膝パット全てレンタルで参加できる「初めてのオフロード」など自分のレベルに合ったスーパーバイクスクールです。各コースとも昼食はあの仙台名物「利休の牛タン」付です。
 イベント当日の様子などについては次回のイーハトーブ新聞でご報告いたします。

万澤会長の容態について戻る

 すでに一部の方はご存知かと思いますが、昨年末万澤会長は自宅で脳梗塞を発症、発見が遅かったこともあり一時は重篤な状態でしたが、幸いに一命を取り留めました。
 ご家族の献身もあって懸命なリハビリを続けており、左半身に機能障害が残っていますが「口」のほうは従来に増して(?)パワーアップかも、という現状です。
 先日は特別に外出許可が出て成田亮さんも参加したクラシック担当団員の準備走行にも激励にいかれました。
 万澤会長は参加者の皆さんとお会いすることを最大のモチベーションにしてリハビリに取り組んでおります。なんとか今年の大会で会えるよう、みなさんからも復活パワーを送ってあげてくださいね!
 ということで、今年の大会では成田省造副会長が全体を取り仕切ってくれることになっております。
 またイーハトーブ新聞をはじめ、様々な情報発信は実行団と事務局が共同し万澤会長の代行を行ってまいりますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
 (以上 イッシー・石山洋治)

万澤会長 トライアルよもやま話 その1戻る

(この項はリハビリ中の万澤会長に聞き取りしたお話を事務局がまとめました)
 トライアルの歴史に限って言えば、1905年、6年あるいは10年までにイギリスではスコットランドでスコティッシュ6日間トライアルがすでに行われ(最初のSSDTは1909年、エジンバラクラブが5日間トライアルとして開催、翌年から6日間となった:事務局註)、イギリス各地でもいわゆる「草トライアル」が盛んになって、イギリス製の重量車の中でも比較的軽量な350、500cc程度のシングル・4ストロークエンジンを積んだBSA、AJSあるいはトライアンフ、マチレス、アリエルといったオートバイでトライアルバイクが作られるようになり、トライアルの人気がそれなりに定着していった。
 一方、日本ではモータースポーツそのものが動き始めた時期は非常に遅かった。
 1950年代の半ば過ぎに浅間火山レースがようやく開催され、本来ならロードレースを開催するはずだったものが、レーシングサーキットが存在しなかったために、浅間山(あさまやま)の麓の火山灰地をブルドーザーで押しただけの、とうていロードレースとはいえないモトクロスコースそのもののような路面を、HONDAはのちにマン島TTにデビューさせる予定の4気筒250エンジンを積んだレーサーを走らせたり、YAMAHAもYDS1のロードレース版を走らせるというチグハグな状態だったので、モータースポーツはまだ産声を上げただけで、育つかどうかも分からないような状況であった。
 しかしそんな状況の中で、本田宗一郎が高い理想を掲げて日本各地に誕生させた「テック構想」は注目に値するものであった。
 特に、後に広大な多摩ニュータウンとなる東京郊外の多摩丘陵を切り開いて作った「多摩テック」には、大勢の若者たちが集ってライディングテクニックやメカニック的なオートバイ話に花が咲く絶好のたまり場となっていった。
 時同じくして、奈良県の生駒山にも「生駒テック」が作られ、おそらく状況は似たようなものであったはずだが、「多摩テック」も「生駒テック」も経営を維持するための収入源がなかったために、10数年後には閉鎖の憂き目にあってしまい、HONDAのテック構想も尻切れトンボの状態で終わってしまったのは惜しまれることであった。
 私は、その「多摩テック」に中学2年生当時、自宅のあった町田市から20キロの砂利道を自転車のペダルを漕いで行ったものだが、今でもCL72のプロトタイプのようなCB72のアップマフラー版や、当時でも珍しかったレース用の限定発売車両「CR71」など、珍しいバイクが見られるのは何よりの楽しみであった。
 「多摩テック」はオートバイ遊園地というふれこみであったが、そこで開催されるモータースポーツの種類は限定されたものであり、今見ると簡単なヒルクライムや草レースそのもののモトクロスがときおり開催される程度で、本格的なモータースポーツの場としても不満足な出来栄えであり、当時の日本の環境ではどのようにせよ維持を図るのは極めて難しいと思われるような状態であった。
 したがって、贔屓目に見ても当時の「多摩テック」が日本のモータースポーツに果たした役割は大きいとはとても言えない状態であった。
 ただ、日本の若者たちを「カミナリ族」ではなくモータースポーツに正しく接する事を目的としたという点では、まさに本田宗一郎の「HONDAらしさ」が良く現れた構想だったということは言うことはできるだろう。

編 集 後 記戻る

 イーハトーブトライアルファンの皆様お世話様です。事務局の照井と申します。私も第8回大会に参加して以来31回目のイーハトーブとなります。テレビ岩手でイーハトーブトライアルの事務局をお預かりして、26回目、あと4年で定年ですが、まだまだ皆様が楽しんで頂けるようがんばります。成田君(昨年までメイン担当)そのあとは頼む、自分は久々に参加したい。